「おいよの子守歌」 |
吉野郡天川村に、子守歌と共に伝わるお話です。
むかしむかし 才兵衛という男がおりました。
才兵衛は働き者で力持ち、年寄りや子どもにも親切なので、村の誰からも頼りにされていました。
才兵衛には おいよ という美しい妻がいました。
谷川の冷たい水で すいじやせんたく。
山菜とりやら 畑仕事
近所の人のぬいものも引き受けて
朝から晩まで くるくると 本当によく働きます。
二人は貧しいながらも、仲むつまじく 幸せな毎日をすごしていました。
ある時 となり村との間で もめごとが起こりました。両方の村にまたがる山の権利をめぐっての 争いでした。
「あの山は 昔からうちの村のもんじゃった。」
「何を言うか。こちらの村で、ずっと手入れをしておったわ。」
争いは、しだいに大きくなっていき、けが人まででる始末。このままではどうなることやらわかりません。
村の代表達が集まって相談をしました。
「こうなっては お役人に訴えて、なんとか解決してもらうしかあるまい。」
「しかし 訴えるとなったら 江戸まで行かねばならん。いったい誰が‥‥。」
江戸へ出るとなると、いくつもの山を越え、はるかかなたまで、見知らぬ土地を歩き通さねばなりません。無事にたどり着けるものかどうか。
みんなが困り果てたとき、
「おれが行こう。」
と、名乗り出たのは才兵衛でした。みんなの困っている様子に、だまっていられなかったのです。
家に帰った才兵衛は、おいよにこのことを話しました。
「長い道のりだから、どんなことがあるかもしれない。けれど、だれかがいかなければな らないんだよ。」
才兵衛の話をじっと聞いていたおいよは、やがて決心したようにそっとうなずきました。
「わかりました。けれど、どんなことがあってもきっと帰ってきて下さいね。わたしは、 いつまで待っていますから。」
そう言うと、あとはだまって才兵衛を見つめるのでした。
出発の日が来ました。
「才兵衛、たのんだぞ。」
「きっと、たどりついてくれよ。」
村の人々に見送られ、才兵衛は旅立ちました。1ヶ月、2ヶ月、1年、2年と、月日は流れてゆきました。
「きっと帰ってくる。あの人は、きっと。」
そう信じて、おいよは待ち続けました。
やがて、争いは解決しました。才兵衛の訴えが江戸に届いたことを、村の人々は知りました。
けれど、3年たっても4年たっても、才兵衛はもどりません。
「才兵衛はどうしたのかのう。」
「無事に帰ればいいがのう。」
そう心配していた村人の心からも、だんだんと忘れられてゆきました。
おいよは、夕暮れになると村はずれの道へ立つようになりました。今にも峠の向こうから、才兵衛が帰ってくるように思えるのです。
「おいよ、才兵衛はまだかい?」
じっと立ち続けるおいよに、みんな声をかけて通りすぎます。そんなとき、おいよは、寂しそうに笑って、静かに首をふるのでした。
おいよ 才兵衛は まだもどらぬか
まだももどらぬ 長の旅よ
長の旅すりゃ 身を大切に
人のお世話に ならぬよによ
日暮れを知らせるお寺の鐘が鳴る頃、空には1つ、2つ、3つと、星が輝き始めます。
山と山とを結んで きらきら輝く天の川
「お星様、明日こそ、あの人が帰ってきますように。」
おいよは、空をあおいでそっと手を合わせるのでした。
鐘がゴンと鳴りゃ もういのいのと
ここは寺町 日が暮れるよ
とうとう 才兵衛が戻ってくることはありませんでした。
遠い旅の空の下で、いったい何があったのか、もう誰も知ることはできません。
けれどおいよは、生涯 村はずれに立って、才兵衛の帰りを待ち続けたということです。
作:西崎悠山
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