醍醐山(標高450m)
2010年10月3日
醍醐寺は大峰山と縁が深く、わたしも子供の頃は毎年『三宝院門跡花供入峰』のお迎えをしていました
これは京都の醍醐寺・三宝院門跡が修験者ら約300人を従え、大峯山頂にハスの花を供える儀式です
洞川の旅館街をほら貝を吹きながら練り歩く一行を、住民や小中学生が「ようおまいり」と言いながら出迎えます
中世末期から続いてきたと言われ、今も続いている6月初めの行事です
そんな縁もあって、今日は醍醐寺を訪ねてみました
醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した。(「上醍醐」) 醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。 その後応仁の乱など相次ぐ戦争で下醍醐は荒廃し、五重塔しか残らないありさまであった。しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに紀州などからの寺院建築の移築や三宝院の建設などにより、今日見るような姿となっている。 西国三十三箇所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。(Wikipediaより引用) |
醍醐駅 10:41 → 醍醐寺山門前 10:51 →仁王門前 10:54 → 女人堂 11:04 入山料600円 槍山(醍醐の花見場所)11:18 → 不動の滝 11:28 →峠 11:51 →上醍醐寺務所前 11:55 →開山堂(山頂) 12:17 |
醍醐駅から醍醐寺を通り、醍醐山頂にある上醍醐へ‥‥
山科から地下鉄に乗り、醍醐駅下車 上へあがると大きなショッピングセンターの中でした 歩道橋の向こうに醍醐の山並が見えています 10:40に駅を出発です |
きれいに整備された住宅街を通り抜けると‥‥ |
10:50 駅から10分で醍醐寺の総門 |
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左手には「三宝院」 |
仁王門 ここをくぐらずに右に折れます |
さらに左折 醍醐寺の伽藍を左に見ながら進みます |
上醍醐方面はここを右へ |
11:05 女人堂 かつてここからは女人禁制でした 上醍醐への登山口になります (入山料600円が必要) |
いよいよ上醍醐への山道 参道に埋設された丁石は、ここが「一丁」となっています |
11:18 秀吉が醍醐の花見を催したという「槍山」 立ち入り禁止になっています |
11:28 「不動の滝」 休憩ポイントですね |
11:51 空が見えてきました 峠のてっぺんです 丁石は「十六丁」 ここから少しだけ下ります |
山の上に建物が見えています |
現在地となっているのは寺務所横の参道をはいった清龍宮拝殿あたり |
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11:55 上醍醐寺の寺務所前に到着です 参道はこの門の左を進みます 丁石は「十九丁」 |
清龍宮拝殿の下を通ります ここから上醍醐の建物が続きます |
「清龍宮拝殿」 |
「醍醐水」 |
「薬師堂」 |
「五大堂」 |
「五大堂」正面には聖宝理源大師の像 |
12:15 醍醐山山頂に到着 「如意輪堂」 「如意輪堂」は理源大師が、如意輪観世音菩薩を祀ったとされています |
山頂にある大きな建物は「開山堂」 内陣には、中央に重要文化財に指定されている「木造理源大師像」が、 左には弘法大師像、右には醍醐寺一世座主観賢僧正像が安置されている ‥らしい ふもとから二十丁の道のりでした |
開山堂前にある展望場所 景色をながめながらお弁当をいただきました この後、小雨が降り始め、傘をさして下山しました 約40分でふもとの入山口、女人堂へ |
本尊薬師如来を安置する「金堂」、「三宝院」などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍が広がる。応仁の乱によって ほぼ全焼し、その後も幾度の火災によって焼失・再建を繰り返しているが、護摩道場前に建つ五重塔は創建当時のまま現在に 残る。また五重塔内部に描かれた壁画も国宝に指定されており、中でも空海の肖像画は現存する最古のものである。 (wikipediaより) |
国宝の「金堂」 豊臣秀吉が紀州から移築したそうです |
951年に建立された「五重塔」 たびたびの修理を経ているものの、京都に残る数少ない 平安時代建築だそうです 相輪部が長く、どっしりとした印象です |
「不動堂」 |
「祖始堂」 弘法大師と理源大師が祀られています |
「大講堂」 |
朱塗りの「弁天堂」が水面とよく合う 紅葉の名所 |
休憩所(お食事処)がありました 阿闍梨寮「寿庵」 |
店先にはこんなメニューが‥‥‥ |