「鶴姫哀歌」 |
今から、およそ800年前のことです。
壇ノ浦の戦いに敗れ、わずかに生き残った平家の一族は、ちりぢりになって西日本の各
地へと落ちのびてゆきました。
「平家の一族を、一人ものがすな。」
という幕府の命令によって九州につかわされたのが、有名な那須与一の弟、那須大八郎でした。
何ケ月もの捜索によって、九州の山深い里、椎葉村にひっそりと暮らす、平家の一門を見つけました。
椎葉にたどり着いたとき、大八郎は、一門のつつましい暮らしぶりを見て胸を打たれました。あの栄華を極めた平家の人々が、木の実や草の根を食べて、必死で生きているのです。
「ああ、どうしてこの人たちを殺すことなどできようか。」
しかし、幕府の命令にさからうことはできません。大八郎の迷いはつきませんでした。
決心のつかぬまま、一門の人々といつしよに暮らすうちに、大八郎は一門の美しい娘、鶴姫に恋をしました。鶴姫も、大八郎のやさしい人柄にひかれてゆきました。いつ幕府に知られるか、不安を抱きながらも、二人は山里での幸せな日々を過ごすのでした。
いつまでも帰らぬ大八郎に怒った幕府は、紀伊半島の南部、熊野へ勤めることを命じました。
「鶴姫よ、今私が行かなければ一門のことが知られてしまう。もう生きて会うことはないかもしれない。けれど、たとえどこにいようとも、星空を見上げては、お前のことを思っているよ。」
一門の人々に見送られ、大八郎は山里を去りました。大八郎の姿が山の陰に隠れて見えなくなっても、鶴姫はいつまでもいつまでも立ちつくしていました。
1年が過ぎました。つとめて明るく振る舞う鶴姫でしたが、大八郎への思いはつのるばかりです。
「どうか、私を熊野へゆかせて下さい。せめて、生きている間にもう一度お会いしたいのです。」
鶴姫の熱意に、一門の人々もついに旅立つことを許しました。たった一人の共を連れて、はるかかなたの熊野へと向かったのです。
山を越え、海をわたり、人目を忍んでの苦しい旅でした。足には血がにじみ、体は見る影もなくやせ細ってゆきました。
「もう一度会いたい。」
その気持ちだけが、今にもくずれおちそうになる鶴姫の体を支えていました。
苦労のすえ、やっと吉野の山中の、野迫川村のあたりにたどり着きました。目の前には名だたる難所、水ヶ峯が行く手をさえぎっています。山は、これまでのどの山よりも険しく、弱りはてた体ではとても越えられそうにありません。
「ああ、この山を越えれば、もう熊野は目の前だというのに-・・・・。」
歩いては転び、立ち上がってはまた倒れ、ついに水ヶ峯の頂上にたどり着いたとき、とうとう一歩も動くことができなくなりました。
やがて陽が沈みました。力を使い果たした体を、そっと草むらに横たえた鶴姫の目に映ったのは、それはそれは美しい星空でした。九州の山里で、大八郎といっしょにながめたお星様。
「星空を見上げては、お前のことを思っているよ。」
またたく星のかなたから、大八郎の言葉が聞こえてくるようでした。
会いたい気持ちはつのるけど
越すに越せない水ヶ峯
星に願いをかけましょか
せめて思いがとどくよに
けわしくそそり立つ水ヶ峯の頂上で、鶴姫は静かに息をひきとりました。閉じられた目には、うっすらと涙がにじんでおりました。
熊野の夜空には、星が美しく輝いています。日ごと星空を見上げる大八郎に鶴姫の死が伝えられたのは、それから何年も後のことでした。
野迫川村の民話より作:西崎悠山
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