お話の部屋へ戻る      トップページへ

民話シリーズ 第七話


倭姫物語
「清き川のほとり」


 オウスとヤマトヒメは、幼い頃から姉弟のように育ちました。オウスはあでやかで美しいヤマトヒメを本当の姉のように慕っておりましたし、ヒメは元気者のオウスをかわいがり、なにかとかばってやるのでした。

大和でのくらしは楽しいもの。春には野に出て花をつみ、秋にはいっぱい実った稲穂に囲まれて、収穫の踊りをながめました。ふたりにとって、大和での幸せな日々がすぎてゆきました。

そのころ、都には2つの神がまつられていました。大和の大神と天照大神。
流行り病が続いたある年のこと、人々の間でこんなうわさがたちはじめました。
「こんなに災いがつづくのは、都の中に2つもの神をおまつりしているからじゃ。」
「その通り   、大和に2つの神はいらぬ。」
なるほど、と賛成するものも多くなってきました。
「天照大神さまを、他の土地におうつししよう」
話はまたたく間に決まりました。


神様につかえるミコを選び、旅に出すことになりました。帝の娘であるヤマトヒメがこの役目に選ばれました。神にお仕えしながら、神が住むにふさわしい土地を捜し当てねばなりません。見つかるまでは、いつまでもどこまでもさまよう厳しい旅です。

いよいよ大和を離れる日、オウスは都のはずれの峠までヒメを見送りました。
「オウスや、わたしはもう神さまにおつかえする身。二度とこの大和に帰ることはないでしょう。どうか元気におくらしなさい。」

「ヒメ、たとえどんな遠い所にいかれても、わたしはきっとたずねて行きます。きっと会いに行きます。」
オウスはかたく約束しました。

 これが最後の見納めと振り返えると、眼下に広がるのは、美しい大和の平原。そしてなつかしい家並み。その景色を心に焼き付けるように、ヒメはそっと瞼をとじました。


 都をはなれたヤマトヒメにとって、長く苦しい旅が始まりました。山々の連なる宇陀の土地、室生・御杖の山道をとぼとぼと越えて行きました。

 大和から伊賀、近江、そして美濃。雨風に打たれても、日照りにさらされても、休むことなく歩き続けました。いくらさがしても、神様のお心にかなう場所はなかなか見つかりません。あちこちさまよううちに衣は破れ、しだいに身も心も疲れ果てていきました。

 いくつもの峠を越えて谷間をぬけると、突然あらわれた真っ青な海。なんと清々しい心地がすることでしょう。さらさらと流れる清らかな川。生い茂った森の木々にも不思議な力が感じられます。
「これこそ探し求めていたところ。ああ、やっとたどり着いた。」
 倭姫は伊勢にたどり着いたのでした。重い役目を成し遂げたうれしさに、全身から力がぬけてゆきました。


 伊勢で神にお仕えする日々が始まりました。身を清め、祈りを捧げながらも、ヒメは大和で別れたオウスのことが気がかりでした。

 大和に残ったオウスは、父である帝の命令で西のクマソ征伐にいきました。命がけの働きの末、みごと征伐して大和へ戻りましたが、帝からは労をねぎらう言葉もありませんでした。それどころか、兵もあたえられないまま、再び東の国の征伐を命じられたのです。

 ヤマトヒメは風の便りでオウスの働きぶりをしりました。休む間もなく、疲れた体で東へと向かっているであろうオウスの身を思うとき、ヤマトヒメの心は痛みます。

「父上は、このオウスを憎んでおられるのでしょうか。」
そう訴えるオウスの悲しい叫びが聞こえてくるようでした。

 五十鈴の川で身を清めながらも、ヤマトヒメの不安は日に日に大きくなっていきました。
「もしや、オウスはもう帰ってこないのでは‥‥。」
 そんな不吉な予感にヤマトヒメの小さな胸は締め付けられるのでした。


 東の国でのオウスの戦いは苦しみの連続でした。火にかこまれた草原での戦い、恐ろしい嵐の海。それでも、何とか東の国を平定し、帰りの道につきました。
「今度こそ帝も喜んで下さるだろう。はやく帰ろう、伊勢のヤマトヒメに会いに行こう。」
帰りを急ぐオウスに伊吹山の悪霊がおそいかかりました。そしてひどいケガをおってしまったのです。

 傷は深く、毒は、戦いで疲れ切ったオウスの体をむしばんでいきます。
「ああ、大和へ帰りたい。ヒメと過ごしたあのなつかしい大和へ帰りたいなあ。」
西の空を見上げながら、オウスは息を引き取りました。

「ああ、オウスはもう死んでしまった。」
 突然心を襲ったむなしさに、ヤマトヒメは、オウスが遠い空の下で死んだことを悟りました。オウスはもはやこの世にはいない。ヒメは頬をつたう涙をぬぐう気力もなく、さまよい歩きました。


 その時です。

「ヤマトヒメ」
と小さく囁く声が聞こえてきました。声は空から聞こえてくるようでした。ヒメは涙をぬぐいさると、広く澄み渡る空を仰ぎました。北の空にうかぶ小さな点、それは1羽の白鳥でした。真っ白い翼を波うたせ、どんどん近づいてきます。

「ヤマトヒメ」
今度ははっきりと聞こえました。上空で大きく円を描きはじめた白鳥のつぶらな瞳は、清き心をもつ勇敢なオウスの瞳でした。
「オウスよ、会いにきてくれたのですね。」
 その言葉に答えるように、白鳥は翼をふるわせました。そして、羽を一つ大きくはばたかせると、西の空へと向きを変えました。ヤマトヒメは追いかけようとして、ふと立ち止まりました。

「大和へ、大和へ帰るのですね。」

 白鳥はもう答えません。力強い羽ばたきを繰り返しながら、西へ西へと飛び去っていきます。
 ヤマトヒメは鈴鹿の山並みの向こうへ消えていく白鳥の姿を、いつまでも見守っていました。澄み渡る空の青さを写しだした五十鈴川のせせらぎは、今日も静かに流れてゆきました。



作:西崎悠山
 


お話の部屋へ戻る