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  お粗末な物置小屋同然の家でネイと生活をはじめたのは、与一二十一歳、開拓の村に甘い風のふく春だった。ピンネシリの雪が消えれば寝ないで働くのが村のしきたり。干ばつに見舞われたときも、降り続く雨に開拓地のすべてが泥水にのみこまれたときも、土を信じてネイと共に働いてきた。どんなにつらいときも、ネイは涙をみせなかった。
「泣くのはうれしいことがあったときにとっておくんよ。」
と言うネイの瞳には、いつも朝露のような光が射していた。

 3年前の冬、白い雪原の上を天からの馬そりが静かにネイを迎えにきた。
「あんたと暮らしてよかったあ。たあんとええことあったよ。」
とつぶやいたのを最後に、ネイは息を引き取った。与一にとってこれほど悲しいことはなかった。



 頭を低く垂れた与一は、胸の前に合わせた手をパンパンと叩いた。
くるりと振り替えると、視界の中にピンネシリ山が微笑んでいる。
一息置いて南の方角に身体を回した。そして同じように手を合わせた。豊作をありがとう、収穫が終わるまでどうかよい日和が続きますように。ハルニレの木とピンネシリ山と奈良県十津川の山の神に祈ったつもりだった。